なぜ今、世界が岡山のデニムに夢中なのか?
岡山にはデニムづくりに必要なすべてがある
岡山には、江戸時代から藍染めで栄えていた「井原地区」と、大正から昭和にかけて厚地の学生服製造で栄えた「児島地区」がありました。さらに、これらの地区では綿花栽培も行われていました。
戦後、日本にジーンズが伝わり、「これから国産デニムを作ろう」となった時、岡山に目が向けられたのは、偶然にして必然だったといえます。
世界と逆行する中で、磨かれた独自性
アメリカ人にとってのワークウェアであり、庶民の服であったジーンズは、本来、大量生産で安価に作られることが重視されているものでした。
これに対し日本では、その勤勉さあってか、オリジナルの完コピや品質向上では飽き足らず、そのルーツを追い求め、アメリカの思考とは真逆である、原点回帰に価値を見出す「ヴィンテージ」という概念に火がつきます。
その結果として、ダメージ加工や、味わい深い色落ちを生むインディゴ染めなど、さまざまな技術が発達し、「理想のデニムが作れる場所」として、岡山は世界からも認知されるようになりました。
伝統を活かした、岡山のデニムづくり
デニムの生産工程は主に、紡績、染め、織り、縫製、となりますが、岡山の伝統的な藍染めの技術やノウハウを活かした、ロープ染色によるインディゴ染めは岡山(井原地区)を代表する技術といえます。
穿き込んでいくほどに、「色落ち」と呼ばれる魅力的な経年変化が生み出されるのは、糸の中心部だけを白く残して染める「芯白(しんぱく)」という、この地で発展した高い染色技術があってこそです。
また、ヴィンテージデニムを実際に織っていた旧式織機(シャトル織機)を扱える機屋もこの地域には残っており、岡山ではデニムを作るためのすべてが揃っているのです。
世界のデザイナーが求める、ロープ染色技術
冒頭でふれた通り、井原地区は江戸時代より藍染めが活発な地域で、なかでも「芯白(しんぱく)」と呼ばれる技術は高い評価を受けています。ヴィンテージデニムにおいて、色落ちの良し悪しを決めるこの技術を、世界中のデザイナーが求めています。
それでは、ロープ染色の工程を見てみましょう。
整 経
整経の『経』とは、タテ糸のことを意味します。染めムラをなくスムーズに行えるよう、空間の中に糸を一本一本張り巡らせて、ゴミやヨレなどを取り除き、点検をしながら数百本の糸を束ねて筒に巻き取ります。
染 色
整経で巻き取った糸をロープ上に束ねてインディゴ染めする、ロープ染色を行います。糸の周りだけをしっかりと染め、芯を白いまま残すことで、デニムの美しい色落ちが実現できます。
通常の染色工程は短時間で濃い色を出すため、高温で染色を行いますが、インディゴ染めは常温で染めるため、濃い色を出すために染め回数を増やさないといけません。染めた糸を空気に触れさせてインディゴブルーに変色させるという工程を何度も繰り返すことで、ようやく染め糸が出来上がります。
この手間暇があってこそ、岡山の美しい「ジャパニーズ・インディゴブルー」が仕上がるのです。
国産デニムの象徴、旧式織機が織るセルビッチ
生地の両端に、ほつれ防止の「セルビッチ(ミミ)」が出ることが特徴の旧式(シャトル)織機ですが、現存するものはどれも古く、壊れた機械からパーツを取って補修しながら今も使用されています。
通常デニム4本に対して、セルビッチ1本?
旧式織機で織る生地は、「セルビッチデニム」と呼ばれ、織機に糸をセットする際、縦糸のテンションをできる限り緩くし、低速回転で丁寧に織り上げるという、職人の高度な技術と時間を要する方法が用いられます。また、生産可能な生地幅が通常の織機の約半分、そして1日に生産可能な反数も通常機の半分と、とても非効率な方法で生産されます。
これを単純計算すると、通常のデニムジーンズ4本に対し、セルビッチジーンズは1本しか生産できないということになります。しかし、この手間暇こそが、穿き込むほどに、独特のアタリを生みだす原点であり、世界から評価される重要なポイントなのです。
デニム縫製のプロが集うまち、児島
学生服や軍服を縫製していた背景から、デニム縫製に必要な技術と設備を持ち合わせた縫製工場が児島にはあります。扱いづらいとされる厚手のデニム生地を上手く扱え、ステッチの入り方や細かな縫い方など、こだわりのあるデザイナーからの要求にも応えられる経験と技術があります。
WASEWの「THE DENIM」シリーズ
デザイナー、河南宏則が7年かけて完成させた、Made in OKAYAMAのWASEWオリジナルデニム、「THE DENIM」。本記事で紹介のプロセスを経て作られる、本物のデニムフリークが作り上げた、細部までこだわり抜かれたセルビッチデニムです。
"THE DENIM"
WASEWのデニム生地ができるまで